運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
293件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-06-11 第196回国会 参議院 決算委員会 第8号

古い話ですが、福田赳夫総理が、今年、福祉元年をつくれたよと大変うれしそうにお話しされていたことを思い出します。当時、福田さんは大蔵大臣でした。これまで、関係省庁、幾つかの省庁にまたがる案件については、曲がりなりにも旧大蔵省が調整を行っていたのであろうと考えております。  こういった中で、社会福祉制度、本当に必要なところに国の税金が行き渡っているのか。

中山恭子

2015-04-15 第189回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第2号

これは、日本福祉国家を目指し始めるのは一九七三年の福祉元年と言われた年ですけれども、この現金給付による所得再分配機能を、エンゼルプラン、ゴールドプラン、つまりサービス給付を強化することによって補強していこうという動きが出てくるわけですね。そうした動きと絡み合いながら地方分権を推進していくという動きが出てくるということです。  

神野直彦

2014-11-04 第187回国会 参議院 予算委員会 第3号

福祉元年と言われました一九七二年頃から始まったとされますが、今では全国自治体の全てで何らかの助成が行われております。自治体首長選挙では子供医療費無料化が必ずと言っていいほど公約の一丁目一番地となっております。この公約を実施するための財源確保がままならず、消耗戦となっているのが多くの自治体での実際の現状ではないでしょうか。  

藤川政人

2013-11-05 第185回国会 参議院 厚生労働委員会 第2号

そもそも国民会議がおっしゃられたことは、少子高齢化が進む中で家族形態も変わっている、雇用環境も変わっていると、この中で医療をどのように変えていくのか、介護とどのようにコラボしていくのかという話であるわけでありますが、一九六一年に公的年金公的医療保険、こういうような形で制度整備されて、一九七三年に福祉元年これを充実する中において言われたわけであります。

田村憲久

2013-10-21 第185回国会 衆議院 予算委員会 第2号

一九七〇年というのは、まさに、皆保険が実現し、福祉元年と言われた、そうした時代であります。そういう時代社会保障から二十一世紀型のモデルにしなければならない、こういうふうに言っているわけでありますが、総理、この報告をどのように受けとめて、今回のプログラム法案、あるいは今後の社会保障改革に向けて進めていかれるのか、御説明いただきたいと思います。

桝屋敬悟

2012-05-28 第180回国会 参議院 行政監視委員会 第4号

が、この後、東京都と秋田県が都県単位では一九六九年に初めて老人医療費無料化ということを実施し、その後、一九七三年に田中内閣のときに福祉元年だということを言われて老人福祉法を改正して、全国レベル老人医療費というものが無料化になりました。  その結果、一九七三年から八三年までの十年間に日本老人医療費は七・七倍に膨れ上がりました。また、国民医療費も三・六倍に膨れ上がりました。

橋本大二郎

2011-02-09 第177回国会 参議院 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第2号

一九六一年には国民保険国民年金への取組が始まり、一九六二年の税制適格企業年金、一九六五年の厚生年金基金整備等を経て、年金への物価スライド制等が導入された一九七三年は福祉元年と呼ばれております。  続きまして、配付資料の方の一ページから三ページにかけて、戦後の流れの概要をお示ししております。  

大塚耕平

2001-05-17 第151回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

日本は、福祉後発国として、田中首相のときの福祉元年もスタートしたばかりですし、どういう福祉社会を建設すればいいのか、先進国の轍を踏まないためにはどうすればいいのかというので、日本型を考えてみようということが言われました。  日本型を考えてみたときに、あのときは、子供との同居を日本高齢者は非常に志向している。

木村陽子

2000-07-18 第148回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

それから、大インフレーションを起こしたときも、日本列島改造論とか福祉元年予算とか、ああいう政治動きに引きずられたというところがあります。戦後の日本金融政策二つだけ大失敗したと私が思っているのは、二つとも政治の圧力があったと思っておりますから、気のきいた配慮をちょこっとやるぐらいなら、きのうの程度ならいいのですが、行き過ぎるとこれは危険なことだなと私は思っております。  

鈴木淑夫

2000-05-16 第147回国会 参議院 国民福祉委員会 第20号

最後社会保障と言われたのはなぜかと申しますと、第二次世界大戦後に憲法二十五条を実現するために新しい社会保障制度の確立が必要であるとして医療保険とか年金保険などを順次整備したんですけれども、その計画段階でも児童手当優先順位最後で、実際児童手当の成立をもって福祉元年という言葉が一九七三年に使われました。  

大塩まゆみ

2000-04-19 第147回国会 参議院 本会議 第18号

我が国では、一九七三年が福祉元年と言われております。同様に、私は一九九四年を国における福祉町づくり元年と呼ばせていただいております。国における福祉町づくりは、厚生省身体障害者福祉モデル都市事業が七三年にスタートし、以降、関係事業が推進されてきました。当時のこうした施策福祉施策として認識され、運輸省や建設省に働きかけても、それは厚生省の問題と突き放されてしまいました。  

堀利和

2000-03-21 第147回国会 参議院 国民福祉委員会 第12号

過去は、例えば昭和四十八年、福祉元年と言われたときには、これは積立方式から賦課方式へ移行していくんだということで、ピーク時には一年分程度しかもたないんですよというふうに言っておられたのが、これが今ピークでも三、四年分は持つというようなことになっておりますが、何のためにそういうことをしておるのかということと、そしてまたその部分の説明はどのようにされておるのか、その点を簡単に御答弁いただきたいと思います

浅尾慶一郎

1997-11-19 第141回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第10号

○国務大臣(小泉純一郎君) 私が初めて当選した昭和四十七年、そして四十八年がたしか福祉元年と言われた年だと思います。ヨーロッパの先進諸国に倣って福祉充実を図ろうと。そのころは高度成長がずっと続く前提のもとでの福祉施策拡充だったと思います。いわば経済成長が進み、黙っていても自然増収が上がってくる、その税収を福祉充実に向けることができた、これが当分続くという前提でありました。

小泉純一郎

1997-05-21 第140回国会 衆議院 大蔵委員会 第21号

四十八年は福祉元年というたがの外れた物すごい拡大予算が出てきた。あのとき整合的というのはどういうことだったかというと、本当は日本銀行はびっくりして早く引き締めをしなきゃいけなかった、だけれども、あの引き締めのタイミングがひどくずれたために大インフレーションになっちゃったんですね。  

鈴木淑夫

1997-05-07 第140回国会 衆議院 大蔵委員会 第18号

それから四十八年度は福祉元年予算と称して、これもたがの外れたようなすさまじい予算を組んだんですね。そういう列島改造計画に乗って物すごい勢いで財政を膨らましている田中内閣のもとで、実はもう四十七年の終わりごろから卸売物価が上がり始めたんです。  本来なら、本来ならというか私は日本銀行の内部におりまして、これはえらいことになってきた。

鈴木淑夫